2007 東北1部13節 プリメーロ 対 グルージャ盛岡


2007年10月14日
東北1部第13節 
鏡石町鳥見山公園多目的広場 13時(観衆:約100人)
FCプリメーロ 3対10 グルージャ盛岡
1【前半】6
2【後半】4

02分 0-1 吉川
11分 0-2 松田
24分 0-3 吉川
28分 0-4 太田
28分 0-5 吉川
34分 0-6 吉川
41分 1-6 本田
46分 2-6 佐藤
52分 2-7 加藤
57分 2-8 上山
63分 2-9 上山
66分 2-10 佐々木
78分 3-10 緑川

菅野 一輝
伊藤 洋介→竹之内 貞夫
石井 貴憲
三浦 昌樹
石井 秀樹
鈴木 茂雄
梅津 知巳→小川 将司
佐藤 勇作
緑川 正人
田村 直由樹→柳沼 修一
本田 直樹


2006年TDKJFLへ昇格。
2007年シーズンは、グルージャ盛岡と地域決勝出場辞退前で、地道に強化が進んでいたトーキンとの優勝争い。
第12節で2回目の優勝を決めたグルージャ盛岡がその勢いのまま3位のプリメーロと対戦した…


前半2分、グルージャ盛岡が早々に先制点を挙げる。
これは、これから始まる、悪夢のゴールラッシュの序章に過ぎなかった。
盛岡のサイド攻撃が面白いように決まり、30分過ぎまでに6失点。
プリメーロはサイドの選手をフリーにしてしまい、そこからクロスが供給され、次々に失点を招いた。

6失点目のシーン。
しかし、41分、プリメーロが1点を返して前半終了。
ひと月前に1-9を経験していましたが、さすがに前半6失点は堪えます…



エンドが変わって、後半戦開始、サイドをドリブルで上がり、中央へ上げたクロスをキーパーがファンブルし、ゴール!
しかし…10分を過ぎた頃から再びペースは盛岡。前半同様、サイド攻撃が面白いように決まり、立て続けに4失点、

ついに失点数は10。
写真は、10失点目直後。

そんなプリメーロの中でこの日活躍したのは、本田。

本田の突破、この日は、1得点を挙げています。

とは言え、2013年の現在も本田頼みなのが、プリメーロの苦しい台所を表しています。

このシーズンは最終的に勝点22-4で第3位でした。
トーキン戦の1-9、グルージャ戦の3-10がありながら、得失点差が-4に収まっている所が当時のプリメーロの立ち位置を表しています。
こうして振り返ってみると、戦力の底上げが出来ていない事で、相対的に地盤沈下を起こしている現状が見てとれます。



当時のグルージャサポーターの皆さん

当時のプリメーロサポーター。今とあまり変わっていなかったり…

1990 F1 世界選手権第15戦 日本グランプリ

個人的に初めてサーキットを訪れたレースです。
今週のオートスポーツにスパーフォーミュラーのタイムが1分36秒台になったとの記事がありました。
そういえば、この年の予選タイムが「夢の36秒台」だったなと、思いだし、動画を集めました。
ちなみに、俺は、セナファンです。
亡くなってから20年近く経つんだな…


写真は、実家にあるので、Youtubeの動画を集めました。

アイルトン・セナ(ブラジル)のスーパーラップ、ホンダ・マールボロマクラーレンMP4/5B
続くのはアラン・プロスト(フランス) スクーデリア・フェラーリ641/2

この時は、決勝当日1日券を購入し、土曜日の仕事が終わってから、鈴鹿へ向かいました。
燕三条駅を20時位出発の新幹線に飛び乗りましたが、上野駅に到着し(当時は上野が終点)東京駅に移動したときには、東海道新幹線の最終が出た後。
仕方なく、特急券清算し、大垣行きの普通列車に乗車。幸いにも座る事が出来ました。
静岡、愛知と通り抜けると徐々に夜が明けてきました。
名古屋から鈴鹿サーキット稲生駅行きの特別列車に飛び乗って駅に着いた時に、ちょうど朝のフリー走行が始まる時間で、木々の間から最終コーナーを下るフェラーリが見えた時には、鳥肌が立ちました。


購入した座席は、最終コーナースタンド、通常の座席の後方に組み上げられた仮設スタンドでした。
ビッグスワンで表すと、本コースが陸上トラックとすると、メインスタンド2階席の最前列位の距離感です。
高音のV12、ランボルギーニが一番いい音で、次がV12のフェラーリ。V10では、当時最強のホンダが良いサウンドを奏でていました。
V8のフォードは、音が低くて、迫力に欠けていました。


全16戦で争われた1990 Formula 1 World Championshipは、第14戦を終了し、セナ78ポイント、前年チャンピオンのプロスト69ポイント。
チャンピオン争いは、この二人に絞られていた。
予選の結果、ポールポジションはセナ、2番手プロスト
フロントロー(最前列)対決にワクワクが止まりませんでした。


スタート前のドライバーズミーティングで、スターティンググリッド位置をレコードライン(主に車両が走る為路面の状態がいい)上の外側に変更して欲しいとの要望を出したが、受け入れられませんでした。
当時のFIA会長、ジャン・マリー・バレストル(フランス)は、親プロスト派で当時の放送では、悪者扱いでした。



テレビの導入部分です。サムネイルは鈴木亜久里(すずきあぐり
途中のインタビュアーの近藤真彦が若い!
Jリーグ開幕当初、鈴木亜久里井原正巳が似ているといわれていて、井原のニックネームが「あぐり」だったことが、当時関係を物語っています。


午後1時、

スタートシーンです。
予選1位ポールポジションからスタートしたセナが出遅れ、プロストが前に出ます。
一コーナーの進入でセナがインに飛びこんで接触、そのままグラベルにコースアウト。
両者はリタイヤ。アイルトン・セナが2度目のチャンピオンを決めました。


これには伏線があり、前年度、プロストが首位、2位がセナ。
セナは、残り2レースを連勝しないとチャンピオンになれない状況で迎えた15戦日本グランプリ
その、47週目。首位のプロストを追い抜こうとシケインで仕掛けたセナとプロスト接触、セナは、レースに復帰するも、失格裁定でプロストがチャンピオンになりました。
後にセナは90年の1コーナーの接触について、「プロストに出られたら、ぶつけるつもりだった」と発言しました。


最終コーナーからは、遠く約1キロ向こうで両者が接触し、砂煙が上がる所が見えました。
落胆の声にあふれる最終コーナースタンド。
全員が砂煙の余韻を見つめる中、トップのベルガーが最終コーナーを駆け下りてくる。
切り替えてマクラーレンゲルハルト・ベルガーオーストリア)を応援しようと思った所…
2周目の第1コーナーでベルガーがコースアウトしリタイヤ…
鈴鹿に詰めかけた14万1千人が全員ずっこけて、静まり返り、何を見ればいいんだろう?と、目が泳ぎます。
3週間この時を待ち続け、さてどうなるかと仲間内で討論し、いやセナだプロストだと談義を続けたその結果がこれだったので、しばらくは放心していました。


レースは、フェラーリナイジェル・マンセル(イギリス)が独走。
ベネトン・フォードの2台(ピケ、モレノ)、ウイリアムズの2台(ブーツェン、パトレーゼ)が続き、その後ろにロータスのワーウィック、ラルースの亜久里

凍りついた鈴鹿を温めたのは、日本勢の活躍。
亜久里ロータスとの差を徐々に詰め始めると、少しづつ鈴鹿が色を取り戻し始めます。
そして、ついに鈴木亜久里がワーウィックをかわして6位へ、さらにウイリアムズ勢を追い上げます。
黄色いマシンがキャメル・チーム・ロータス、エンジンはランボルギーニV12
キャメルカラーのロータスは、前年まで中嶋悟が乗っていた事もあり、記憶の片隅に残っている人もいるのではないでしょうか。

さらには、中嶋悟ティレル・フォード)の激走。
最初は、ブラジル国旗ばかりだったのに、いつの間にか日の丸が揺れる。
最終コーナースタンドの上段からは、東コースの観客席が見渡せたので、揺れる日の丸の位置で、亜久里と中嶋が今どこを走っているのかわかりました。

ピットインのマンセルに悲劇、ドライブシャフトの破損でリタイヤ、この瞬間、マクラーレンコンストラクターズチャンピオンが決定。

中嶋がワーウィックをかわす、大歓声と揺れる日ノ丸。うれしそうな、ケン・ティレル(故人)
亜久里が3位のパトレーゼを追い上げます。パトレーゼはタイヤ交換に入り、亜久里が3位に浮上します。

人生で最も日の丸を見た日、

亜久里が3位、中嶋が6位に入賞です。
実は、中嶋の時の方が声援が大きかった。
優勝したネルソン・ピケ(ブラジル)は、優勝インタビューで観客席で打ち振られるブラジル国旗を見て、「俺のファンは、まだまだ多いな」と語ったが、多分大部分は、セナ用に用意した国旗だったと思われます。


あの時は、ふざけるなと、思いましたが、今思い返すと、前代未聞のワールドチャンピオン決定、マンセルらしいリタイヤ、日本人初の表彰台、中嶋入賞と見どころいっぱいのレースでした。


おまけ

マンセルの車載カメラの映像、1週目から2周目のS字まで。
そして、タイヤ交換の為、ピットイン、勢いよくピットアウトのはずが…アクセルを煽りすぎてドライブシャフトを折ってリタイヤ…いかにもマンセルらしい展開。

2005 東北1部第7週 プリメーロ 2対0 盛岡ゼブラ


2005年6月19日
東北1部第16週 
鏡石町鳥見山公園多目的広場 10時(観衆:約50人)
FCプリメーロ 2対0 盛岡ゼブラ
0【前半】0
2【後半】0
66分 1-0 梅津(PK)
87分 2-0 竹之内


2005年シーズンのトピックは
Jリーグへ昇鶴を目指してグルージャが1部へ参戦開始。
開幕直前に秋田市役所が突然リーグ脱退。
7チームによるリーグ戦となりました。


6週を終わって、
順位、勝点、得失差、得点、勝敗、チーム名
1 10(+10,14)3勝1分1敗 TDK秋田
2  8(+ 4, 8)2勝2分0敗 グルージャ盛岡
3  7(− 1, 8)2勝1分1敗 FCプリメーロ
4  6(± 0, 4)2勝0分2敗 新日鐵釜石
5  6(− 3, 5)2勝0分2敗 トーキン
6  5(− 2, 8)1勝2分3敗 ヴィーゼ塩釜
7  2(− 8, 4)0勝2分3敗 盛岡ゼブラ
TDKサッカー部は、過去にTDK鶴岡が参戦していた為、区別するためにTDK秋田と表記します。


最終的に、TDKグルージャの勝点から当該対戦まで全てが同じになりましたが、前年度JFLに大学が昇格、その予選ラウンドで所属していたグループの2位がTDKだった為、東北に2枠が与えられた。
よって、決定戦は行われず、2チーム同時優勝となりました。
TDKは4年連続10回目、グルージャは初優勝。


試合前のひとコマ、この日は中東からスカウトマンが訪れていました。

この頃は、結構動画をとっていたんだな。
この子供たち、おそらく現在高校生…

前半、ボールを回すもののなかなかゴールに近づけない。
一方の盛岡もプリメーロゴールに迫るものの、フィニッシュの精度を欠く。
しかし、終了間際にフリーでヘッドを撃たれるなど、危険な場面が見受けられる展開。

GK33阿部直樹
前半は0−0で折り返す。


後半、開始早々から、盛岡ゴールに迫る、前半とは違い、得点の匂いが感じられる。
しかし、逆襲からあわや失点といった場面も見られた。

そんな中、20分過ぎ、得られたPKを確実に決め、プリメーロが先制する。
キッカーは、梅津。

その後、なかなか追加点を決められなかったが、盛岡のシュートの制度の無さとバーに助けられ1点リードで迎えた後半42分
プリメーロ、竹之内のシュートが決まって待望の追加点!2−0、

そのまま逃げ切ってプリメーロが勝利し2連勝になりました。

IRV氏彼は、本当に変わらないな。

2008 東北1部第16週 プリメーロ 0対2 秋田カンビアーレ


2008年9月7日
東北1部第16週 
福島空港公園多目的広場 13時(観衆:約40人)
FCプリメーロ 0対2 FC秋田カンビアーレ
0【前半】1
0【後半】1
15分 0-1 木内(PK)
50分 0-2 菅原

2013年3月コメント
秋田戦、会場が空港公園の時に語り草になっている試合です。
15週を終え6勝4敗で3位のプリメーロと4勝1分5敗の秋田が対戦しました。
今振り返ると、2008年は歴史の転換点でした。
Jリーグを目指し、先んじて1部リーグに昇格したビアンコーネ福島でしたが、年初に運営会社が撤退、1年で2部降格、入れ替わって昇格したのが、福島ユナイテッドでした。
全社枠で地域決勝出場権を得ていたNECトーキンが出場辞退。その後、クラブ化し、更には塩釜と合併、チームは姿を消しました。
バリエンテ郡山が華々しく登場し、あっという間に消えたのもこの年です。
プリメーロも、このシーズンは8勝6敗の3位で終えましたが、これ以降、負けが先行する状態になっています。

試合のレポートです。
試合経過
試合開始 プリメーロの出場選手は10人
前半15分 0-1 PK
前半16分 プリメーロ、キーパー交代、柳内から千田へ
前半25分 柳内FWで復帰、11人揃う
前半45分 プリメーロの13渡辺倒れる
後半05分 0-2
後半15分 雨が降り始める
後半26分 雷雨の為1時間中断
後半45分 秋田のキーパーが負傷の為10分中断
16時試合終了


FCプリメーロメンバー
31 柳内 GK→FW
 1 千田 GK
 2 齋藤 DF
 6 三浦
12 石井
19 佐藤
 8 田村 MF
10 鈴木
17 梅津
13 渡辺
 7 緑川 FW


選手入場、プリメーロはなぜか10人、選手が揃わずに数的不利な状況で試合開始。
この時は、薄日が差している。
序盤から劣勢のプリメーロ

15分、秋田にPKを献上。

これをきっちりと決められ秋田が先制。
プリメーロ 0対1 秋田

1分後、プリメーロは柳内から千田へGKを交代する。
下がった柳内は、ユニフォームを着替えている。
どうやら、フィールドプレーヤーとして出場するようだ。

約10分後、柳内がFWとしてピッチへ、ようやくプリメーロの選手が11人揃う。

写真はFW柳内。背番号をテープで隠してマジックで1を書きくわえています。(後半の画像です)

徐々に天気は下り坂、正面の山の上から黒い雲が広がり始め、遠雷が聞こえてくる。
互いに決め手を欠きながらこのまま前半が終わると思われたその終了間際、アクシデントが発生、プリメーロの13渡辺が倒れる。
幸い、大事には至らず、自力で立ち上がってベンチへ引き上げていった。


後半、エリア付近で奪取したボールを再び奪われ、ミドルシュートが決まる。
プリメーロ 0対2 秋田

その後は、ようやくエンジンがかかって来たのか、それとも秋田が持たせているのか…この試合初めてプリメーロの時間が来る。

そんな15分、抜け出した柳内のシュートは、惜しくもバーを叩いてゴールならず。
終わって見れば、この試合唯一可能性があったシーン。

この頃から、ぽつぽつと雨が降り始め風が強くなってくる。

25分過ぎには空が抜けたような横殴りの雨、そして、雷。これによって試合は中断。

約1時間後、試合が再開。

お互いに決め手を欠く展開、このまま終わると思われた後半45分頃、プリメーロのFKが秋田ゴール前へ、そこで秋田のGKとプリメーロの選手が交錯!

倒れるGK、続行される試合、GKの「腕が折れてる」という悲痛な叫び。
試合は再び中断、GKは、救急車で搬送されていった。
10分後再開、ロスタイムは4分。
しかし、奇跡は起きることもなく試合終了。
メンバーが11人ギリギリというのは、いただけない。
秘密兵器33番の出番は近いな。

2006 天皇杯福島予選3回戦 福島夢集団 2対1 福島東高校


2006年7月16日
福島民放杯・NHK杯第11回福島県サッカー選手権大会兼第86回天皇杯全日本サッカー選手権大会福島県代表決定戦 
3回戦 
郡山市西部サッカー場 13時(観衆:約100人)
福島夢集団JUNKERS 2対1 福島東高校
2【前半】0
0【後半】1
02分 1-0
07分 2-0
75分 2-1
40分ハーフです。

2013年3月のコメント
横田氏率いる福島夢集団JUNKERS(ユンカース)の参戦2年目。
チームは、福島県2部に所属しているシーズンです。
福島夢集団JUNKERSは、2006年暮れ、東北2部所属のペラーダ福島の譲渡を受け、ペラーダがトップチーム、ユンカースがサブチームとなった。
2008年トップチームは福島ユナイテッドに改称。
2013年はJFLに所属しています。

一方、ユンカースは、シャイネン福島として独立。
2010年東北2部南に昇格し初優勝。
2011年は、福島ユナイテッドが捨てたシャイネン福島に、もたもたしているうちに追いつかれ、東北1部で相まみえるのかと期待したのですが、2部優勝戦に敗れ、それは実現しませんでした。
2013年現在東北2部南に所属しています。
「しゃしんはありません」
当時、ユンカースおばさんで現在はシャイネンおばさん。
いまでこそ、大人数のユナサポですが、当時はまだだれもおらず、ユンカースおばさんの独壇場でした。
動画で改めて見たけど凄いな。お見せできないのが残念な位です。
ここ数年にユナサポになった人はおそらくわからないでしょうが、たった一人でユンカースを鼓舞し続けたこの人がいなかったら、今の福島ユナイテッドは無かったかもしれない。
興味があったら、シャイネン福島の試合を観戦する事をお勧めします。
そこには、どんなに強くなっても、忘れてはいけない福島ユナイテッドの原点がある。


この年、高校から天皇杯予選に参加したのは、尚志高校、福島東高校、昌平高校、湯本高校でした。


ここからは、当時の観戦記です。

試合は、いきなり動きます。前半2分頃、コーナーキックからのヘディングシュート、
ボールは、一度バーを叩くも、そのこぼれ球を押し込んで夢集団が先制。


さらに7分頃、夢集団はコーナー付近で得たFKをヘッドであわせて追加点、
2対0と突き放します。
試合はその後、膠着状態。東が若干押し気味に試合を進め増すが、後一歩が出ずに得点を奪えません。
試合は、そのまま前半終了。


後半、前半の流れのまま、東高校が押し気味に試合を進めます。
夢集団は、時折カウンターを仕掛けると言った展開。
そんな中、20分頃、夢集団は、GKとの一対一という、決定的なシーンをを外してしまいます。
それでも、夢集団は相手に得点を与えず、このまま逃げ切りか…と思った、後半も押し詰まった35分、右サイドの突破から東が1点を返します。
沸き返る東高校の保護者席!
しかし東の反撃もここまで。

試合はそのまま終了し、2対1で夢集団は、4回戦に進出です。

観客席の入りです。
福島夢集団は4回戦で相馬SCのと対戦します。

2008 全社福島予選 バリエンテ郡山 4対1 ラスティング郡山


2008年6月15日
第44回全国社会人サッカー選手権 福島県大会 準々決勝

郡山市西部スポーツ広場 11時(観衆約:90人)
バリエンテ郡山 4対1 ラスティング郡山
3【前半】0
1【後半】1
得点者経過不明

2013年3月コメント
2008年初頭、新たにJリーグを目指すクラブが産声を上げた。
バリエンテ郡山、元ACミランジョージ・ウェアを総監督に迎え、有名自動車販売会社がバックについて、チームは華々しく船出をした…かに見えたのですが…
この時、知り合いのサッカーファンは、ジョージ・ウェアだと、色めき立っていましたが、個人的には、世界のサッカーには疎いので、「ふーん」って感じでした。
この時点で、Jリーグを目指すクラブは、ビアンコーネ福島が東北一部、福島ユナイテッドが東北2部南、アビラーションが県リーグに所属している状態で、更に増えたよ…っといった印象でした。
この後、夏場にGMの不祥事が発覚、バックに着いていた企業と総監督は責任をとって手を引く事になりました。
株式会社としてのバリエンテ郡山はこの年で一旦解散し、NPO法人のシャンオーレ郡山として再出発。
2008年県3部西からスタートし、2010年には県1部まで昇格しましたが、下位に低迷し2部降格。今日に至ります。

これは、後半開始前のひとコマ。円陣を組んだバリエンテの向こうに見えるのが、バリエンテ郡山サポーター通称「バリサポ」
実は、この当時最大勢力でした。
最後に、当時のコメントに、準決勝は…とありますが、その準決勝は横田氏率いる福島ユナイテッドに0対1で敗れました。




当時のコメントです。(白バリエンテ、黄色ラスティングです。)

西部スポーツ広場は、芝生と緑色の何かが生え、所々砂が浮き出るあいにくのコンディション。
前半は、立ち上がりからバリエンテが試合を支配し、10分過ぎから立て続けに3得点を挙げる。
これで試合は決まった・・・と、誰でもそう思っただろう。

しかし、前半は攻め続けるも追加点を奪えず、ラスティングも、徐々にではあるが、バリエンテの動きに対応できるようになって来た。



後半、立ち上がり、バリエンテのフリーキックはバーを捕らえる、その跳ね返りを奪ったラスティングのカウンターが鮮やかに決まり1点を返す。

後半は、どちらかと言えば、ラスティングペース、ここで1点が入っていたら、この試合はどうなったか分からなかった。しかし、決められそうなときに決められないと反撃を食うのが世の常、終了間際の40分(40分ハーフ)、バリエンテに完全に崩され4点目を奪われると、そこで試合は終了。

バック側には、このスポーツ広場で唯一全体を見渡せる場所があった。(普通のスタジアムでは、カテゴリー2相当)東屋もあって、食事をしながらのサッカー観戦も楽しめる、VIP席なみ?

最後に、西部スポーツ広場とサッカー場を間違って行ってしまったのは、秘密。

バリサポの方々も15人位いて半分くらいが女性、女子率高ッ!
勝ち上がったバリエンテの準決勝の対戦相手は、ヨコタ氏率いる福島ユナイテッドです。

2010 なでしこリーグ 第16節 東京電力 1対2 日テレ


2010年10月17日 
なでしこリーグ16節
郡山市西部サッカー場 (観衆:?人)
東京電力マリーゼ 1対2 日テレベレーザ
0【前半】1
1【後半】1

??分 0-1 ?
75分 1-1 伊藤
85分 1-2 オウンゴール

2013年3月18日コメント
この時、東京電力マリーゼの試合を2度と見られなくなるとは思いもしませんでした。
この試合の5ヶ月後に起こった東日本大震災とそれに伴う東京電力福島第一原子力発電所の事故。
東京電力マリーゼは活動休止、その後、ベガルタ仙台に譲渡され2012年は2部、2013年1部へ昇格しました。

Jヴィレッジ周辺の国道6号線脇には、2011年ホーム開幕戦を告知する案内板が残されています。
永遠に訪れる事のないキックオフ…

本拠地だったJヴィレッジスタジアム、スコアボードの時計は、東日本大震災発生の時間を指したまま止まっていました。
スタジアムのピッチは、福島第一原発の収束作業の作業員宿舎が立ち並んでいます。
この時計の時間が再び動き始める日は来るのでしょうか?
しかし、その時、スタジアムの主はいません…東京電力マリーゼは失われました…永遠に…


当時のコメントです。
【0前半1】
首位浦和と同勝点の2位日テレベレーザと3位東京電力マリーゼの対戦。
立ち上がり、フリーキックのこぼれ球をマリーゼが押し込む、フィールドプレイヤーがかき出すもゴールと思われたが、判定はノーゴール。
そのボール奪ったベレーザが、つないでゴールを奪う。ベレーザが先制。
前半を終わってよく、一点で済んでいるな、と、いった印象。

【1後半1】
30分過ぎ、キーパーが飛び出し、クリアするもマリーゼの選手と交錯しボールを見失う。ペナルティエリア外にこぼれたボールを無人のゴールへ蹴り込む。
45度位の角度だったがよく決めた。マリーゼ追い付く。
40分過ぎ、ゴール前の混戦、緩いボールだったが、味方に当たって角度が変わり、キーパーが逆を付かれる格好になった。ベレーザ勝ち越し。