1990 F1 世界選手権第15戦 日本グランプリ

個人的に初めてサーキットを訪れたレースです。
今週のオートスポーツにスパーフォーミュラーのタイムが1分36秒台になったとの記事がありました。
そういえば、この年の予選タイムが「夢の36秒台」だったなと、思いだし、動画を集めました。
ちなみに、俺は、セナファンです。
亡くなってから20年近く経つんだな…


写真は、実家にあるので、Youtubeの動画を集めました。

アイルトン・セナ(ブラジル)のスーパーラップ、ホンダ・マールボロマクラーレンMP4/5B
続くのはアラン・プロスト(フランス) スクーデリア・フェラーリ641/2

この時は、決勝当日1日券を購入し、土曜日の仕事が終わってから、鈴鹿へ向かいました。
燕三条駅を20時位出発の新幹線に飛び乗りましたが、上野駅に到着し(当時は上野が終点)東京駅に移動したときには、東海道新幹線の最終が出た後。
仕方なく、特急券清算し、大垣行きの普通列車に乗車。幸いにも座る事が出来ました。
静岡、愛知と通り抜けると徐々に夜が明けてきました。
名古屋から鈴鹿サーキット稲生駅行きの特別列車に飛び乗って駅に着いた時に、ちょうど朝のフリー走行が始まる時間で、木々の間から最終コーナーを下るフェラーリが見えた時には、鳥肌が立ちました。


購入した座席は、最終コーナースタンド、通常の座席の後方に組み上げられた仮設スタンドでした。
ビッグスワンで表すと、本コースが陸上トラックとすると、メインスタンド2階席の最前列位の距離感です。
高音のV12、ランボルギーニが一番いい音で、次がV12のフェラーリ。V10では、当時最強のホンダが良いサウンドを奏でていました。
V8のフォードは、音が低くて、迫力に欠けていました。


全16戦で争われた1990 Formula 1 World Championshipは、第14戦を終了し、セナ78ポイント、前年チャンピオンのプロスト69ポイント。
チャンピオン争いは、この二人に絞られていた。
予選の結果、ポールポジションはセナ、2番手プロスト
フロントロー(最前列)対決にワクワクが止まりませんでした。


スタート前のドライバーズミーティングで、スターティンググリッド位置をレコードライン(主に車両が走る為路面の状態がいい)上の外側に変更して欲しいとの要望を出したが、受け入れられませんでした。
当時のFIA会長、ジャン・マリー・バレストル(フランス)は、親プロスト派で当時の放送では、悪者扱いでした。



テレビの導入部分です。サムネイルは鈴木亜久里(すずきあぐり
途中のインタビュアーの近藤真彦が若い!
Jリーグ開幕当初、鈴木亜久里井原正巳が似ているといわれていて、井原のニックネームが「あぐり」だったことが、当時関係を物語っています。


午後1時、

スタートシーンです。
予選1位ポールポジションからスタートしたセナが出遅れ、プロストが前に出ます。
一コーナーの進入でセナがインに飛びこんで接触、そのままグラベルにコースアウト。
両者はリタイヤ。アイルトン・セナが2度目のチャンピオンを決めました。


これには伏線があり、前年度、プロストが首位、2位がセナ。
セナは、残り2レースを連勝しないとチャンピオンになれない状況で迎えた15戦日本グランプリ
その、47週目。首位のプロストを追い抜こうとシケインで仕掛けたセナとプロスト接触、セナは、レースに復帰するも、失格裁定でプロストがチャンピオンになりました。
後にセナは90年の1コーナーの接触について、「プロストに出られたら、ぶつけるつもりだった」と発言しました。


最終コーナーからは、遠く約1キロ向こうで両者が接触し、砂煙が上がる所が見えました。
落胆の声にあふれる最終コーナースタンド。
全員が砂煙の余韻を見つめる中、トップのベルガーが最終コーナーを駆け下りてくる。
切り替えてマクラーレンゲルハルト・ベルガーオーストリア)を応援しようと思った所…
2周目の第1コーナーでベルガーがコースアウトしリタイヤ…
鈴鹿に詰めかけた14万1千人が全員ずっこけて、静まり返り、何を見ればいいんだろう?と、目が泳ぎます。
3週間この時を待ち続け、さてどうなるかと仲間内で討論し、いやセナだプロストだと談義を続けたその結果がこれだったので、しばらくは放心していました。


レースは、フェラーリナイジェル・マンセル(イギリス)が独走。
ベネトン・フォードの2台(ピケ、モレノ)、ウイリアムズの2台(ブーツェン、パトレーゼ)が続き、その後ろにロータスのワーウィック、ラルースの亜久里

凍りついた鈴鹿を温めたのは、日本勢の活躍。
亜久里ロータスとの差を徐々に詰め始めると、少しづつ鈴鹿が色を取り戻し始めます。
そして、ついに鈴木亜久里がワーウィックをかわして6位へ、さらにウイリアムズ勢を追い上げます。
黄色いマシンがキャメル・チーム・ロータス、エンジンはランボルギーニV12
キャメルカラーのロータスは、前年まで中嶋悟が乗っていた事もあり、記憶の片隅に残っている人もいるのではないでしょうか。

さらには、中嶋悟ティレル・フォード)の激走。
最初は、ブラジル国旗ばかりだったのに、いつの間にか日の丸が揺れる。
最終コーナースタンドの上段からは、東コースの観客席が見渡せたので、揺れる日の丸の位置で、亜久里と中嶋が今どこを走っているのかわかりました。

ピットインのマンセルに悲劇、ドライブシャフトの破損でリタイヤ、この瞬間、マクラーレンコンストラクターズチャンピオンが決定。

中嶋がワーウィックをかわす、大歓声と揺れる日ノ丸。うれしそうな、ケン・ティレル(故人)
亜久里が3位のパトレーゼを追い上げます。パトレーゼはタイヤ交換に入り、亜久里が3位に浮上します。

人生で最も日の丸を見た日、

亜久里が3位、中嶋が6位に入賞です。
実は、中嶋の時の方が声援が大きかった。
優勝したネルソン・ピケ(ブラジル)は、優勝インタビューで観客席で打ち振られるブラジル国旗を見て、「俺のファンは、まだまだ多いな」と語ったが、多分大部分は、セナ用に用意した国旗だったと思われます。


あの時は、ふざけるなと、思いましたが、今思い返すと、前代未聞のワールドチャンピオン決定、マンセルらしいリタイヤ、日本人初の表彰台、中嶋入賞と見どころいっぱいのレースでした。


おまけ

マンセルの車載カメラの映像、1週目から2周目のS字まで。
そして、タイヤ交換の為、ピットイン、勢いよくピットアウトのはずが…アクセルを煽りすぎてドライブシャフトを折ってリタイヤ…いかにもマンセルらしい展開。